佐村河内さんは、みんなに聞いてもらうためのツボがどこにあるか、というところに非常に長けている。新垣さんのような現代音楽の修業をしている人は、逆に
そこにはあまり興味がない。佐村河内さんのツボと、新垣さんの職人の力が一体となって、強力な相乗効果が生まれたと言えるのではないでしょうか。
もしも、さきほどのゲーム音楽の例のように、佐村河内さんが断片でもいいからメロディーを作っていたら「HIROSHIMA」は立派な共作です。しか
し、作っていないとしたら、作曲とは言えませんから、佐村河内さんの役割はプロデューサー、クレジットを入れるとしたら、「原案」でしょうか。
会見で、新垣さんは「自分は最後までゴーストライターです」と言っていた。それは、言い換えると、自分の名前だったらこういう曲は書いていないけれど、注文されたから書いた、という意識もあると思います。だからこそ気楽に書けた部分はあるでしょう。
また、新垣さんにとっては、人の名前でもいいから、自分の書いた曲の音を出してみたい、という気持ちもあったでしょう。自分の書いた譜面を、たとえば八
〇人編成のオーケストラが演奏してくれる、ということは、かけだしの作曲家にとって大変貴重な機会です。その音を聞いて、彼もどんどん学んでいった部分は
あったと思う。
もう一つ、佐村河内さんには、耳が聞こえないふりをしていたのではないかという問題があります。しかし、僕らにとって、作曲家は譜面を書くことが大事
で、耳が聞こえないということはそんなにたいした問題ではない。そして、なぜ、特にクラシックではハンディキャップをことさらとりあげ、枕詞のようにする
のか? という疑問は以前からありました。耳が聞こえる聞こえないということと、音楽そのものは別問題。それが一緒に語られていることは大変に不幸だと思
います。タオバオ代行
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